Wilhelm Kempff / ヴィルヘルム・ケンプ

Wilhelm Kempff / ヴィルヘルム・ケンプ
Biography

ヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff, 1895年11月25日-1991年5月23日)は、ドイツのピアニスト、オルガニストである。作曲も行い、バッハの作品をピアノ小品として編曲したものも残している。

ケンプは大バッハからブラームスにいたるドイツ古典派、ロマン派の作品を得意のレパートリーとしていた。1920年の初録音以来、60年余りの演奏活動で録音も数多く、1950年代の一時期に英デッカで何枚かのロマン派作品のアルバムを製作したことを例外として、一貫してドイツ・グラモフォンに録音を行った。主要な業績としてベートーヴェンのピアノ協奏曲は2種類、とピアノソナタの全集が、モノラルとステレオの2種類が残されている。ピエール・フルニエと組んだベートーヴェンのチェロソナタ全集と、ヴォルフガング・シュナイダーハンと組んだベートーヴェンのヴァイオリンソナタの全集も極めて評価が高い。また、それらが広く演奏されるようになる前、1960年代にシューベルトのピアノソナタを世界で初めて全集として録音した。

Wilhelm Kempff / ヴィルヘルム・ケンプの生い立ちと活動

ブランデンブルク州・ユーターボークに生まれ、父親がポツダムのニコライ教会オルガニストに就任したのちは、幼時よりピアノ、オルガンを学び、卓越した才能を示した。
ベルリン音楽大学でロベルト・カーン(作曲)とカール・ハインリヒ・バルト(ピアノ)に師事し、1917年にはピアノ組曲の作曲によりメンデルスゾーン賞を受賞、1918年にニキシュ指揮ベルリン・フィルハーモニーとベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番で協演した。

1920年にはシベリウスの招きで北欧を歴訪、スウェーデン王室よりLitteris et Artibus勲章を授与された。この年にはドイツ・グラモフォンにベートーヴェンのエコセーズWoO.86およびパガテル集Op.33-5を初録音している。1924年から1929年にはマックス・フォン・パウアーの後任としてシュトゥットガルト音楽大学の学長を務めた後、1931年にはポツダムの大理石宮殿で、マックス・フォン・シリングス、オイゲン・ダルベール、エトヴィン・フィッシャー、エドゥアルト・エルトマン、エリー・ナイ、ゲオルク・クーレンカンプらと共同でサマークラスを開催した。1932年にはベルリンのプロイセン芸術協会の正会員となり、ドイツ楽壇の中心的役割を担うようになった。

ナチスの台頭後、既にプロイセン芸術協会の会員であったケンプは、1933年に十字勲章(Ritterkreuz des Griechischen Erlöserordens)を授与されている。1936年に当時のドイツ文化使節として初来日した。戦時中の演奏会は、1940年にアーヘンでカラヤンと協演、1943年にはパリのベートーヴェン・フェスティバルに、エリー・ナイ、アルフレッド・コルトー、ジネット・ヌヴー、ヘルマン・アーベントロートと共に出演した。この時期も定期的に録音を残しており、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集(後期:1935-1936年、初期:1940年、中期:1943年)、ピアノ協奏曲第3~5番(1942年)などを吹き込んでいる他、戦後まもない1945年10月にハンブルク放送局でのリサイタル収録も存在する。

ケンプは戦後、ナチス時代の経歴のため、ナチスに協力したと疑われ、演奏会が開けない時期もあった。戦後のケンプの演奏スタイルは、1950年代の技巧と解釈が高度に均衡した録音に比べ、1960年代以降はよりファンタジーに富んだ自由闊達なものとなり、現在多くの人がケンプの演奏を評するとき、この晩年のスタイルを差して、技巧よりも精神性を重視する演奏家とみなしている。

1991年5月23日、イタリアのポジターノで95歳の生涯を閉じた。

ケンプは親日家であり、1936年の初来日以来、10回も来日した。1970年にはベートーヴェン生誕200周年記念で来日し、ピアノ・ソナタおよび交響曲の全曲演奏会を行った。

自叙伝として、Wilhelm Kempff, ‘Unter dem Zimbelstern – Jugenderinnerungen eines Pianisten -‘, Laaber – Verlag, 1978. 『鳴り響く星のもとに - ヴィルヘルム・ケンプ青春回想録』 土田修代訳、白水社、1981年が出版されている。